1989年創立 個の出会いと交流の場 研究会インフォネット
HOME 研究会インフォネットとは 会員規約 お問い合わせ
会員専用ページ
過去のINFONET REPORT カレンダー 会員連載エッセイ なんでも掲示板
会員紹介 財務報告
なんでも掲示板●詳細表示
一覧表示画面に戻る
14267 パンニャ パーラム イター
時津 2016/01/14 13:08
般若心経の教えは「そもそもはそうじゃなかったのに、そう思い込んでいることからの逃げ道」。なるほどこんな解釈もあったのか、と目からウロコの思いです。ありがとうございます。

仏教について僕も少々興味があり般若心経について調べたことがありました。ところがいくつか解説書にあたりましたが、さっぱり理解できません。

そんな時出会ったのが仏教哲学者のひろさちや氏の著作でした。彼によると、仏教は自由な人間になるための教え、ということです。

彼の考えはとてもユニークで(僕にはそう思えました)宗教について素養の無い僕にも分かりやすく、仏教を少しは理解できた気がしました。

「50歳からの仏教入門、ひろさちや著」の般若心経の解説は以下のとおりです。ひろ氏のファンは多いので、お読みになった方も多いかと思いますが、ご紹介します。

般若心経は大乗仏教の教理を懇切丁寧に教えるものではなく、むしろぶっきらぼうに「諸法空相」つまりあらゆるものは空である、といっているだけだ。そして小乗仏教の教えを全面的に否定している。

「諸方空相」が理解できれば般若心経が理解したことになる。
「空」とは何か。レッテルをはがせ、ということだ。

明治時代の禅僧が大学での講演で、次のような問題を出した。

「あなたの目の前の大池であなたの母と妻が溺れかけている。あなたはどちらを先に助けるか?」

聴衆は殆ど大学教授でしたが、いろんな答えが出てまとまらなかった。最後に出た禅僧の答えは「近くにいるものから助ける」だった。

この考えが「空」である。つまり二人の女性が溺れているのに、我々は「母」だ、「妻」だとレッテルを貼っている。レッテルをはがせば「ただの人」だ。ただの人と思えば迷うことは無い。

これを読んで僕はようやく般若心経の教えがちょっと分かった気がしました。僕らは、齋藤さんがご紹介されたように「そもそもそうじゃなかったのに、そうだと思い込んでいる」のですね。

般若心経の名前の由来について上記著書で書かれていたことも、般若心経を理解するのに大きなヒントになりました。

サンスクリット語では、知恵をパンニャ、彼岸をパーラム、渡るをイター、という。続けて言うと「パンニャパーラミター」となる。これを漢訳仏典は「般若波羅密多」と音訳した。これが般若波羅密多心経である。

その意味は「知恵で彼岸に渡る」であり、小乗仏教のように苦行をすることなく、知恵により考え方を変え、レッテルをはがし、彼岸つまり悟りの境地に至ることが出来る。

この教えを、僕は既成概念を捨て物事に執着するな、そうすれば生き方が楽になる、と勝手に解釈しています。

しかし悲しいことに、迷い多き僕は一向に悟りには近づけず、欲も執着も捨て切れないでいる。わずかな持株の値動きに一喜一憂し、ちょっとした体調の変化にくよくよする日々を過している。

あきらめられぬとあきらめた、という歌があったような気がする。僕はそんな人間なんだ、と開き直って、もとい「諦めて」生きるしかないんだろうなあ。
修正 | 削除
14268 なーるほどなあ、と感心しています。
齋藤 恵 2016/01/14 19:05
時津さん、私の知らない解釈をご教示いただいて、本当にありがとうございました。

「『知恵で彼岸に渡る』であり、小乗仏教のように苦行をすることなく、知恵により考え方を変え、レッテルをはがし、彼岸つまり悟りの境地に至ることが出来る。」

これはまさに般若心経の神髄なのではないか、と感心しながら読ませていただきました。

実は時津さんの旅行記を、いつも大いに楽しませていただいているのですが、ああいう出た所勝負の、失敗を恐れない、思い切った旅行は、私にはとてもできないものですから、いつも時津さんは「悟っておられるなあ」と感心していました。

その時津さんでさえ、諦めることや執着を捨てることは容易ではないとお聞きして、なんだかちょっと安心しました。

私などは終生悟りなどできないと、これだけは妙な自信を持って言えるのですが、これからもジタバタと生きて、ここにもジタバタと書かせていただきますので、どうぞよろしくお付き合いください。

修正 | 削除
14269 Re: なーるほどなあ、と感心しています。
時津 2016/01/15 10:17
紀行文を読んで頂きありがとうございます。最近は自分の為に旅の記録を残すことが主な目的となっているため、冗長でくどくなっているのではないかと懸念しています。

般若心経について日頃から疑問に思っていることがあります。その内容から、本来は人間らしくより良く生きるための教え、だと思うのですが、何故葬儀や法事などで使われることが多いのでしょうか。

仏教自体、本来は、人間らしく自由に生きるための教えのはずなのに、お葬式・故人の供養などが主な活動場面となっているようで、日本の仏教は本来の道筋とは違う方へ向いているような気がします。

お坊さんがお経をあげる場でも、難しい言葉のままで、きいていてさっぱり意味が分かりません。内容を噛み砕いて説明してくれることもありません。僕らはそのままあり難がっているだけですが、これでいいのだろうかとも思います。何故口語訳された分かりやすいお経が無いのでしょうか。

お釈迦様の教えに、過去は戻らない、先のことは分からない、今、目の前にあって、自分がやるべきことをひたすら行なえ、とあります。

僕の好きな言葉です。くよくよするな、なんとかなるさ、好きなようにやればいいさ、とお釈迦様が励まして下さるようで、心が萎えた時、思い出しては自分を慰めています。
修正 | 削除
ページトップへ
お名前
E-mail(任意)
入力情報の保存
保存する 保存しない
※投稿後に修正や削除ができるように、任意でパスワードを設定することができます。4文字以上8文字以内で入力してください。(注:半角英数字、-(ハイフン)、_(アンダーバー)のみ使用可)
パスワード(任意)
タイトル
コメント
※任意で画像をアップロードすることができます。「参照」をクリックして、ローカルの画像ファイルを選択してください。(注:横幅300ピクセル以内、容量50キロバイト以内、JPEG形式/GIF形式で、必ず拡張子(.jpeg/.jpg/.gifいずれか)をつけること。また、ファイル名には半角英数字、-(ハイフン)、_(アンダーバー)のみ使用可)
画像(任意)
※画像には任意でキャプションをつけることも可能です。(注:アップロードする画像ファイルが指定されていない場合は、入力するとエラーになります)
キャプション
(任意)
ページトップへ
スレッド一覧表示
タイトル一覧表示
新規投稿
Copyright(C) FORUM INFONET, All rights reserved. Copyright(C) FORUM INFONET, All rights reserved.
掲載の記事・写真・イラスト等、全てのコンテンツの無断転載・複写を禁じます。
1 1 7 3 5 4 1 0
昨日の訪問者数0 3 8 1 3 本日の現在までの訪問者数0 0 1 4 5