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きょう一日を穏やかに
6 真っ暗とブルーの間
2017年5月18日
永島 さくら 永島 さくら [ながしま さくら]

東京で生まれ長野で育ち、現在夫の転勤で新潟で暮らしている。平凡を当たり前に暮らしてきたが、身辺にここ数年さまざまなことが起こり、自分自身の生き方、考え方が変化してきた。きょう一日をふつうに暮らせることの大事さを悟り、ほんの小さななんでもないことにも感謝できるようになった。そんな日々の自分の暮らし、気持ちを伝えていきたい。
息子はギャンブル依存症になり2年近く回復施設に入所したあとの昨年の春、アパートで一人暮らしをしながらアルバイトを始めた。その半年後、息子は再びバイト先のお金を横領したが不起訴となり新しい施設に入所した。

その入所から約3カ月が過ぎたある日、会社から帰宅した夫が暗い顔で、「施設からいなくなったらしい」と言った。息子がまた失踪したことを帰宅するまで黙っていたのは、私にうつ病体験があり、精神が動揺することを恐れたためだろう。私は「またか」と思いブルーな気分になったが、いっぽう、それほど大きく動揺していない自分に驚いた。

3年半前、最初に息子がアパートから消えたときは、心配で心配で夜も眠れなかった。夫と二人で息子のアパートに行き、夜遅くまで立ち寄りそうな店を探しまわった。息子の借金を私たちが肩代わりし、息子が会社から横領したお金も夫婦で返済し示談にした。息子の不始末をすべて夫婦で尻ぬぐいした。

息子になんとかギャンブルをやめさせたい。その一心で勤めていた会社を横領で懲戒免職になった息子を家に連れ戻してから、私は24時間監視して「こうした方がいい」「ああした方がいい」と世話をやいた。息子を私の思い通りにコントロールできた気になって、さあこれで安心だと思い込んでいた。夜中も息子を監視していたため夜もろくに眠れず精神的にとても不安定になっていた。

大騒動のあと、私は自助グループに通うようになった。そこでそれまで起きたさまざまなできごとをグループの人たちに話した。すると参加者が「息子さんはギャンブル依存症という病気です。WHOでも認められている病的賭博という病いです」と言った。そして、「お母さんも『共依存』という名の病気です」と言われた。

私が病気? 私は初めてきく言葉にとまどった。ギャンブルで借金をつくったり、会社のお金を横領したのは息子だ。息子は意志が弱く、何をやっても長続きせず、嘘つきで怠け者だ。悪いのは息子で、もし病気だとすればそれは息子のなのに、なぜ私が病人と言われなければならないのか?!

私はその後、週に3〜4回、県内にある自助グループに通った。集まりでは本名は名乗らずニックネームでいい。また参加者はここで話した内容をよそではぜったい口外しない、という約束もある。なんでも話すうち心がだんだん軽くなっていった。

しかしひとりになるとまた息子のことを考えてしまう。過去に起きた息子との間で起きたさまざまな出来事を後悔したり、将来のまだ現実に起こってもいないことまで心配した。テレビのニュースでコンビニ強盗を見れば息子もいずれどうようのことをしでかすのではないかと、落ち込んだり。

ミーティングで仲間の話を聞き、依存症についての本の読み合わせを行い、依存症についての講演会にも参加した。少しずつではあるが、ギャンブルから逃れられないのは病気であり、そして母親である自分も「共依存症」という病気なのかもしれないと認められるようになっていった。

学んだ中に、共依存症者は「身近な人間関係にある人が、依存症者の引き起こす問題の解決に一生懸命になってしまいそれが、生活の中心になり自分自身を見失ってしまっている状態であり、この状態を続けていると家族が疲れはててしまい、かんじんの依存症者本人もまわりに助けられて現実に直面しないので自覚と回復が妨げられる」とあり、まさに自分も病気なのだ、と明確に自覚するようになった。

私は息子が事件を起こし始めたころ、息子の育て方が悪かったと自分自身を責めた。毎日そんな日が続くと、そのうち息子を恨み、息子が加害者で自分がその被害者のように思えてきた。しかしそんな思いも、依存症について学ぶうちにしだいに消えていった。

実際、いまギャンブルから抜け出せないでいる息子は、私の記憶では小さい時から「いい子」だった。小、中学校の頃は親切で明るい性格で友達もたくさんいた。言葉づかいもていねいで勉強だってがんばっていた。親に口ごたえもしなかった。反抗期がなかったのだ。いま思えば、親に不満があっても言えなかったのかもしれない。高校も大学も推薦で入った。でもアルバイトに行けばすぐ辞めてしまい長続きしなかった。だれとでもすぐに親しくなれるが長く付き合える友達はいなかった。息子はあまり努力せず、楽にハードルを通過したかっただけのように思う。孤独だったのかもしれない。社会人になってもギャンブルさえしなければ、優しくて思いやりがあり、いい人間だったような気がする。

それに比べ下の子供は正反対だった。小さい頃から口ごたえもひどかった。私に「うるせー死ね」とどなることもあった。自分の意志が強くみずからの考えを絶対に曲げなかった。友達も少なく本当に気の合う友人としか付き合わなかった。でも長く付き合っている親友もいる。

ギャンブラーの息子は私立の進学校に行ったが、下の子は公立高校に行き「大学には行かない。美容師になりたい」と言って勉強はほとんどせず、部活と学校生活を楽しんでいた。そして高2の終わりにとつぜん「大学に行く」と言いだし部活を辞めた。自ら塾に通い始め毎日夜中まで勉強した。第一志望の大学に落ちたが、「あと1年夜中まで勉強したくない」と言って第2志望の大学に入学した。サークルに二つ入り、大学生活を楽しんでいた。留年したうえ今度はファッション関係の仕事に就きたいと言い、留学を体験し就職するまで8年かかった。そしていまの就職先は美容院でもファッション関係でもない。自分中心に生きている。

兄弟おなじように育ても、二人はまったく正反対だ。ギャンブル依存症は脳の病気であり育て方が悪かったわけではないのだ。3年前の私の人生は真っ暗だと思ったが、いまはブルーな気分でおさまっている。

真っ暗とブルーに違いがあるのか?と人は思うかもしれない。私の中で真っ暗は絶望の暗闇で、ブルーは、薄暗く遠くにではあるがひと筋の希望の光がぼんやりと見える状態だ。
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