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縁の下のバイオリン弾き
155 バイオリンとフィドル
2018年11月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ 約30年前、友人宅でマンドリンを弾く筆者。サンディエゴにて。
私がフィドル(フォーク・ミュージックでのバイオリンの呼び名)をやってみようと思ったのはアメリカにきてから2年ぐらいたった頃だった。夕方に教える成人教室に通った。なぜフィドルかというと、私は子供の時バイオリンを習っていて全くの素人ではなかったからだ。

フィドル・クラスというからにはカントリーとかブルーグラスとかのアメリカできの音楽で使われるバイオリンをやるんだろうと私は思っていた。せっかくアメリカに来たのだからアメリカの音楽を学びたい、と考えた。

先生はジャック・ペロンというフランス系カナダ人だったが、アイリッシュ・フィドルの達人だった。ジャックは何もアイリッシュにこだわって教えたわけではなく、フィドルのごく初歩を教えたにすぎなかったのだけど、最初に教えた曲が友人のケビンのハンマー・ダルシマーのレパートリーの一曲で(本稿第80回参照)、ケビンはアイリッシュ以外弾かなかったから、私は当然アイリッシュに引き込まれて行くことになった。ジャックに習ったのは数週間に過ぎなかったけれど。


子供の時にやったことがあるというのは日本でのことで、7歳ぐらいだっただろうか。何かの映画でオーケストラが出て来て、私が感激して見ていた、というので、母は私に音楽の芽があるんじゃないかと思ったようだ。これは親バカもいいところで、事実はバイオリンの弓に興味があったのだ。

子供向けの音楽家の伝記絵本を読んでいて、あるページにバイオリンを弾いている男の絵があった。彼の手にしている弓が大きさと言い、形と言い、チャンバラの刀にぴったりだと思ったので、バイオリンをやるかと聞かれた時に、刀欲しさに勢いこんで承諾してしまった。

ところが実際のバイオリンの弓を手にしてみると、棒の下に白い毛が張ってある。慌てて絵本を開いてくだんの絵をみると、弓の下に前には見えなかった白い線が引いてある。こんなはずじゃ、と思ったけど、後の祭り。

当初私はアメリカでいうスズキ・メソッド、当時の呼び方では「才能教育」という教え方でレッスンを始めた。このやり方は親も一緒になって楽器を練習し、楽しみながら学ぶ、というものだ。

しかし親の転勤で数ヶ月後には東京から名古屋にひっこさなければならなかった。これでバイオリンとの縁も切れた、と私は一種の安堵感とともに思ったのだけど、それは甘かった。母はどこでどう調べたものか、家の近所のバイオリンの先生を見つけて来た。

この先生は60を超えた頑固な老人だった。奥さんを「あなた」と呼ぶ、今から考えたら大変に進歩的な人だったと思われるのだけど、教え方に関しては、最初に会った時から「才能教育」をクソミソにやっつける古風なトラディショナリストだった。「基本が大事だ」というのだ。この時から私の地獄が始まったのである。

いったい、子供と言わず、大人だって面白いと思わなくて何かが学べるものだろうか。私には全てが面白くなかった。

先生はところどころをセロテープで修復してある、色の黄ばんだ古い楽譜をその場で母に写させた。コピー機械などない時代だから鉛筆で五線紙に写して行く。その正確かどうかもわからない楽譜を家に持ち帰って練習する。

その楽譜を先生が弾いてくれたのかどうか、よく覚えていない。多分弾いてくれたのだと思うけれど、なじみのない曲を一回ぐらい弾かれたって、心の琴線に触れるはずがない。なのに次の回にはそれを弾くよう要求される。面白くないから私はうちで練習するのがいやだった。母にやいのやいのと言われるたびに逃げ回っていた。

それが12の歳まで続いた。その間中、私は自分のことを蟻地獄に落ちた蟻だとイメージしていた。今思うと我ながらいじらしくなる。中学に入る時に勉強が忙しいからと口実をつけてレッスンをやめた。母にそのことを言い出すのに、ゼツボー的な勇気がいった。

それより何より、私には音楽というものがわかっていなかったのに、誰もそれを教えてくれなかったのだ。その先生が「教えてくれなかった」ことは数々ある。まだ早い、と言うことだったのかもしれないけれど、音楽教育は早ければ早いほどいいはずだ。

当時は電子チューナーのようなものはない。バイオリンの4本の弦の音が出る小さな笛を吹いて調弦した。

2本の弦を一緒に弾いてハモるようにする調弦方法がある、なんてことは知らなかった。

その笛の音だって頼りないのに、さらに悪いことは、私は練習した後決まって弦をゆるめていたのだ。後に知ったが、弦楽器の弦は張りっぱなしにしておいて構わない。楽器は初めから弦の圧力に耐えられるように作ってある。それをひんぱんにゆるめたりしめたりするものではない。

これはひょっとして日本だけで言われていることかもしれないが、弦楽器の場合、長期間弾かない時は弦をゆるめることが推奨されている。そんなことを母は聞きかじって、慎重を期すあまり、毎回弦をゆるめることを私に強制したのだったのだろうと今になって思う。幼児の私にどうしてその是非がわかろう。

そんな誤解をした母の気持ちもわからないではない。あの金のない時代に、子供に楽器を買って音楽をやらせてくれた母には感謝のほかない。でも母にはそのバイオリンがこの上なく貴重なものに見えたのだろう。だから大事をとった。それがかえって肝心の音楽教育をダメにすることになろうとは夢にも思っていなかったに違いない。

でも考えてもみてください。音の合わない楽器で練習してもうまくなるわけはないではないか。バイオリンというものは、たとえ調弦がうまくいっている楽器でも、初めのうちはギーコギーコの連続だ。そのひどい音に耐えられる神経の持ち主だけが、だんだんにいい音を出せるようになってうまくなっていくのである。

先生はいつも難しい顔をして、時にはたまりかねて自身で私のバイオリンを調弦し直す時もあったが、どうしてそんなことになるのかということを一度も聞いてくれなかった。

母が勇気を出してひとこと質問してくれたなら、私はあんなに苦しむこともなかったのだ。

そのぐらいだから、先生はハイ・ポジションを教えてくれなかった。バイオリンは指板の上に指を置いて弾くわけだけど、片手の指で押さえる勘どころには限りがあるから、その手を指板の上の方(自分に近い方)に動かして高い音を出す。これをハイ・ポジションという。

アイリッシュではほとんどハイ・ポジションを使うことはないが、時には高い音を出すこともある。でも基礎を習っていない私のやり方はまったくの自己流で、そのために自信がない。

ビブラートも教えてもらわなかった。バイオリンを知らない人がバイオリンを弾く真似をすると、決まって指板の上に乗せたつもりの左手を大仰に震わせる。 あれがビブラートで、指を震わせることによって音にかすかな強弱をつける。クラシックではその音が美しいと信じられている。

フォーク・ミュージックではハイ・ポジションもビブラートも原則として使わない。つまりその頃から私はアイリッシュをやるように運命づけられていたのかもしれない。それを思うと私は泣き笑いのような感情におそわれる。両方ともスズキ・メソッドなら初期に簡単に教えてもらえただろう。

バイオリンをやめた時、これで音楽ともおさらばだ、と思った。そのうちに兄の影響で、というか時代の趨勢で、アメリカのポップスを聴くようになった。そうして私は音楽が好きになる、ということがどういうことか、はじめてわかったのだった。

兄はギターを買って、誰に教わったのか CとFとG7のコードをかき鳴らし、「この3つさえ知っていればなんでも弾けるんだ」と気楽なことを言っていた。

私にはそのコードということが何を示すのか全然わからなかったけれど、3つのコードを覚えると、なるほど簡単な曲なら伴奏ができることがわかった。

当時から西部劇が好きだったので、その影響で(本来は関係ないのだが)カントリー&ウェスタンの曲を聴き出した。すると兄も面白がってギターを弾いて歌を歌うようになり、私にバイオリンでバックをつけさせた。誰にも聞かせたことはなかったけれど、兄弟でバンドをやっていたのだ。

それがこうじて、安物のマンドリンを買った。マンドリンという楽器は調弦がバイオリンと同じである。買った時はそのことを知らなかったんだけど(いい度胸だ)、それがわかってすぐに一応は弾けるようになった。でもどうせならギターと同じくコードも弾きたい。当時マンドリンのコードを教えてくれる教則本などなかったし、私にはコードの原理がわかっていなかった。仕方なく、ギターのコードをドレミに分解して、苦労してそれをマンドリンに当てはめた。その「私が」発明したコードは当然のことながら「正しい」コードだった。それなのに、そこまでしても、コードの原理を知らないという点では以前と少しも変わらなかった。

フィドルのクラスに出た最初の日に、ジャックは「この中にコードの仕組みを知らない人いる?」と聞いた。コードなんてものはアメリカではほとんど常識だ。私はそれでも「聞くはいっときの恥」と思って手を挙げた。ジャックは黒板にピアノの鍵盤の絵を描いて、「この音とそこから3番目と5番目の音を一緒に弾く和音をコードというんだ」と親切に教えてくれた。そんなことはピアノを弾く人は誰でも知っている。私は30歳になっていた。


先日、最相葉月の「絶対音感」を読んだ。絶対音感というのは、それを聞いただけで、楽器を弾かなくてもどの音か一発でわかってしまう能力をいう。これは音楽をやる上では有利だと思われているけど、必ずしもそうではない。駅で流れている音楽を聴いても全てドレミに聞こえて、わずらわしくてならない、などということがあるようだ。

私には絶対音感はない。でもそのドレミの話を読んで、私にも相対音感とでも呼ぶべきものがあるのかもしれないぞ、と思った。ピアノを弾く人は指にナンバーをつける。親指が1で、小指が5だ。バイオリンの場合は親指を使わないから人差し指が1で、小指が4だ。私にはすべての音楽が0(開放弦)から4までの数字で聞こえるのである。ありがたいことにそれにわずらわされるということはない。 第九の合唱を聴いても「3312,3210」なんてことになってしまうのだ。もっともテンポが早ければそんな数字の読み方にいちいち付き合ってはいられないから「 サーサーイーニー、サーニーイーレー」となるのだが。

音と音の間の距離がわかる。どこにどの指を下せばよいかわかる。楽譜を使わず耳に頼るのみのフィドラーとして、曲を覚えるためにはこれに優る武器はない。まったくあの気難しい先生のおかげだ。当時は文句たらたらだったけど、今は感謝している。
 
サンディエゴの古い音楽仲間、イアンが「おい、ニシ、ジャック・ペロンが書いたフィドル曲集持ってるか」と聞いた。「持ってるよ、だってそのジャック・ペロンにフィドルを習ったんだもの」と答えるとびっくりして、「なんだ、ボストンでアイリッシュと知らずにアイリッシュを弾いていた、って話は聞いていたが、その先生がペロンだったとはな。彼とは昔からの親友だ」という。こっちはもっとびっくりした。あれからおよそ40年が経っている。イアンは「あいつは記憶がいいから君のことを覚えているかもね」なんていう。まさかねえ。


香港にいた間は音楽に無縁だったので、苦しかった。アイリッシュにめぐりあったことで私は渇きを癒し、真の音楽の楽しみを知った。


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