1989年創立 個の出会いと交流の場 研究会インフォネット
HOME 研究会インフォネットとは 会員規約 お問い合わせ
会員専用ページ
過去のINFONET REPORT カレンダー 会員連載エッセイ なんでも掲示板
会員紹介 財務報告
会員連載エッセイ
以前の記事
縁の下のバイオリン弾き
144 「外国人」
2017年12月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
ジャッキー・チェンの“The Foreigner”(外国人)という英国・中国合作映画を見た。日本ではまだ未公開で、したがってどのような邦題になるのかわからない。

ジャッキー・チェンは私が香港を離れてから人気が出たので、彼の若い時の映画は全然見ていない。

最初この映画を見ようと思ったのはジャッキーよりもむしろ相手役のピアース・ブロスナンの役柄に興味があったからだ。

ピアース・ブロスナンといえば5代目の007ジェームズ・ボンド役者だし、ロマン・ポランスキー監督の「ゴーストライター」では英国首相を演じていたぐらいでどこからみても英国人、という感じなんだけど、実はアイルランド人なんだそうだ。

私はこのことを2006年の西部劇「セラフィム・フォールス」(日本未公開)で知った。この映画でブロスナンは相手役のリアム・ニーソンとともに南北戦争の生き残りを演じているのだが、ふたりともアイルランド生まれだ。「アイリッシュのガキふたりで西部劇をやって楽しかったよ」とインタビューで語っている。

「外国人」ではIRAの親玉を演じて、アイリッシュ・イングリッシュ(アイルランドの方言)を聞かせている。IRAというのはアイルランド共和国軍という意味だが、英国に残留した北アイルランドの分離と(アイルランド共和国への)復帰をめざす地下組織だ。70年代から90年代を通じてはげしい反英テロ活動を展開した。

私はブロスナンがアイリッシュを話すのを初めて聞いた。そのむかしトム・クルーズが「遥かなる大地へ」(1992)で付け焼刃のアイルランドなまりで話したのなどとはちがい、もうまるで水を得た魚のようだ。これ以上はないだろうというきわめつきのアイリッシュでどなりちらしている。こういう役柄は今までなかったのではないだろうか。

もしアイルランド人を演じたことがなかったとすれば、ブロスナンはこれまでの生涯で外国人や他郷の人間ばかり演じてきたことになる。


ジャッキー・チェンに話をもどすと、もと米軍の秘密部隊員だったが今はロンドンで中華料理屋を営んでいる中国系ベトナム人がIRA分派による爆弾テロのとばっちりでまな娘を殺され、復讐に走る、というのが映画の筋だ。ブロスナンはむかしはテロの実行犯だったが、IRAがほこを収めた今は英国と協力する政治家になっている。

ジャッキーは爆破犯人の名を要求するのだが、ブロスナンはIRAの全力をあげて彼を消そうとする。しかしむかし取った杵柄(きねづか)、年はとっても威力のおとろえないジャッキーに殺し屋たちは返り討ちにされてしまう。

たわいのないアクション映画だといってしまえばそれまでだが、私にはいろいろ考えさせられることがあった。なんといってもジャッキー・チェンを主役にたてたというのが破天荒なことだ。本物の中国人を主役にした英国映画はこれまでになかったと思う。でも問題がないわけではない。

主人公はベトナム人なのだが、中国系ということで中国語を話す。それはいいのだけれど、その中国語が北京語なのである。これは困る。

華僑は東南アジア全域に何世代にもわたって住み着き、隠れた力をもっている。ベトナムも例外ではない。ベトナムの華僑はだいたい中国南部、特に広東から来た人々が多い。だから彼らの話すことばは広東語でなければならない。

広東語だろうが北京語だろうがどうせ観客(欧米人を想定している)にはわからないのだから、どっちでもかまわない、と制作者側は思ったのかもしれないが、それは考えが浅いというものだ。

むかし香港で見たフランス映画でアラン・ドロンがベトナムからの帰還兵を演じた映画があった。ベトナムの場面もでてくるのだが、中国系ではない「ベトナム兵」がしゃべっているのがベトナム語ではなく広東語だった。

香港は広東語の天下だ。あまりのことに劇場は失笑の渦に巻き込まれた。映画なんてものはだれが見るのか予測がつかない。「どうせわからないだろう」と考えるのは傲慢というものだ。

北京語は中国の標準語だけれど、もともと中国北方の方言だ。広東語とはお互い通じない。ベトナム戦争後、ロンドンに移住した主人公のベトナム人が話すことばとして適当だとはとうてい言えない。

そのベトナム人を演じるジャッキー・チェンは香港生まれだ。広東語のネイティブなのである。それなのにしいて北京語を話させる必要はまったくない。

そうはいってもIRAが話にからんでいなければ、それもしかたがないといってすませることもできただろう。でも、この映画ではネイティブのピアース・ブロスナンにわざわざアイリッシュ・アクセントで話させているのだ。そこまでこだわるなら、ジャッキーに広東語を話させるのが当然ではないか。


しかし実は問題の根はもっと深いところにある。この映画が公開されると、ジャッキーにベトナム人を演じさせることにベトナムの人々から抗議の声があがった。

ベトナム人には中国に対して深いうらみがあるのだ。私はベトナム戦争後、中国とベトナムが戦った「中越戦争」に仰天(ぎょうてん)したのを今に忘れない。

ベトナムがアメリカという世界一の軍事大国を相手に回して勝利をおさめられたのも、中国からの有形無形の協力があったからではないか。アメリカは中国からの援助をつぶすべく、ラオスやカンボジアにまで爆撃をひろげて結局は自滅したではないか。おなじ共産主義国家同士でなぜ戦争が起こるのだ。

しかしそれは私がベトナムの歴史に無知だったからだ。

ベトナムという国は常に中国に支配されてきた。直接支配された時もあれば朝貢国として臣従した時もある。政治的、文化的にやられっぱなしだったのだ。ベトナム戦争では中国のお世話になったけれど、一皮むけばベトナム人は中国に対してうらみ骨髄、という気持ちがある。

中国に拒否反応があるから、中国人のジャッキー・チェンがベトナム人として映画に出演するのはがまんがならない、というのだ。 話をきけばもっともだと思うし同情もするけれど、これはちょっとどうにもならない。なにも純粋のベトナム人を中国人に演じさせたわけではなく、はじめから中国系ベトナム人と断っている。

だけでなく、この映画は1992年、つまり25年前に出版された小説「チャイナマン」をもとにしている(著者は英国人)。チャイナマンというぐらいだから、ベトナム人とはいえ、素性(すじょう)は中国人だということをタイトルにうたっているわけだ。


それでことがすめば結構なのだが、そうは問屋がおろさない事情がある。「チャイナマン」ということばは中国人に対する人種差別の蔑称なのである。

夏目漱石が英国留学中に、道をあるいていると英国人に「チンチンチャイナマン」といわれた、ということを自分で書いている。漱石が日本人だということが当時の英国人にわかるはずはない。中国人とまちがわれて、さげすまれたのである。

英語で中国人はチャイニーズといわなければならない。チャイニーズとチャイナマンはどうちがうか、と言われても説明できない。

テネシー・ウィリアムズの「欲望という名の電車」でポーランド系の主人公スタンリーは皆にポーラックと呼ばれるのに腹を立てて、「おれはポーラックじゃねえ。ポーランドから来た人間はポールっていうんだ。ポーラックなんて呼ぶな」とたんかを切るが、あのせりふは日本ではどうなっているのだろう。つまりそんなようなことなのだ。

日本にも中国人をおとしめる呼び方がいろいろある。それを思い浮かべてもらえればいい。そんなことばを本のタイトルにすることは許されるものではない。

そのために映画の題名が「外国人」という意味不明のものに変えられているのだ。 制作に一枚かんでいる中国政府が、差別的なタイトルはもってのほか、と厳重に抗議したにちがいない。

しかしベトナム戦争後40年近くロンドンに住んでおり、すでに英国籍を取得している主人公を「外国人」よばわりするいわれはないではないか。

でもこれは原作のタイトルの人種差別色を回避しながら、その本来の意味を維持したものなのだ。なぜなら原作のチャイナマンということば自体、人種をあらわしているというより、かれに対する西欧人の違和感をあらわしているからだ。

そう考えれば、「外国人」というタイトルは苦心の作だということができる。チャイナマンといおうが、外国人といおうが、その意味するところは西欧人にとっての「よそもの」以外のなにものでもないからだ。国籍なんか関係ない。人種差別色は少しも薄まっていないのである。映画の中でジャッキーは実際にチャイナマンと呼ばれている。

よそものはぶきみだ。なにを考えているかわからない。ということを暗黙のうちに主張しているのがこの映画だということができる。

IRAというのはアイルランド側から言わせれば英国の抑圧に対して戦う自由の戦士だ。歴史的にアイリッシュは常に英国から差別される存在だった。彼らがテロに走ったのも圧政に抵抗するには他に方法がないからだ、ということになっている。

そのIRAがアジア系の移民に対しては平気でチャイナマンという蔑称を使い、殺そうとまでする。

人種差別というものが一筋縄ではいかない事情がよく表されている。


私は個人としてのジャッキーを尊敬している。というのもかれはもともと不識字(字が読めない)というハンディを背負っていたからだ。デビューのころは誰かに脚本を読んでもらってせりふを丸暗記したそうだ。現在ではそれを克服している。不識字の克服ということがどれほど困難をともなうものか、私には想像すらできない。特にそれが漢字ばかりの中国語での話なんだから大変だ。その努力には頭がさがる。それにもまして、学歴偏重の中国人社会で教育がないことを公表したその勇気に感心する(公表は1994年)。自分と同じような境遇の人たちをはげましたかったのだと言っている。

かれは広東語だけでなく北京語も話す。英語もものにしている。韓国語も日本語もすこし話すそうだ。詳しいことは知らないけれど、ジャッキーはことばの才能にめぐまれているのだろう。

だからこそ、この映画で北京語を話させられることにかれが抗議しなかったのが不思議に思われる。かけだしの若手俳優ならともかく、主役を張る大スターで制作にも名を連ねているのだ。私がいうまでもなく、当事者のジャッキーにはいちばんよくわかっていることだと思う。

ひょっとしたら、中国との合作ということで北京語の使用は中国政府の意向なのかもしれない。中国の俳優である以上、国語(北京語)でなければならないというお達しがあったのかもしれない。


原作の小説が1992年に出版されていたのに、映画が作られるまでに25年の年月が過ぎたということが大きな影を落としている。

ジャッキーの出身地、香港が英国から中国に返還されたのは1997年だった。返還前、いちはやくこの映画が作られていたなら、植民地香港には広東語をしゃべる俳優がいくらもいたのだ。中国が何といおうと関係ない。かれらを使って全編アイリッシュ英語と広東語の「正統的」な物語をくりひろげることができただろうにと思うと残念でならない。




ページトップへ 以前の記事
ボーダーを越えて
雨宮 和子
かくてありけり
沼田 清
葉山日記
中山 俊明
寄り道まわり道
吉田 美智枝
NEW
僕の偏見紀行
時津 寿之
ぴくせる日記
橋場 恵梨香
縁の下のバイオリン弾き
西村 万里
やもめ日記
シーラ・ジョンソン
徒然.... in California
明子・ミーダー
きょう一日を穏やかに
永島 さくら
ガルテン〜私の庭物語
原田 美佳
バックナンバー一覧
144 「外国人」
143 微妙なたわみ
142 黒い雨
141 ベーコン
140 根付
139 プリーズ
138 キャベツあれこれ
137 スピリチュアル
136 柿と卵焼き
135 移動と定住
134 ベジタリアン
133 王女と真珠
132 七人
131 イディオムということ
130 平等
129
128 名誉殺人
127 ラフカディオ・ハーンのこと
126 楽器
125 ビスケット
124 動物
123 アイヌ
122 ヘクター・ザ・ヒーロー
121 レッツ・リヴ・ア・リトル
120 果実の皮
119 コンニャク問答
118 安岡力也の生涯
117 事実は小説より奇なり
116 レイルウェイマン
115 火を起こす
114 ふし穴
113 ジュリー・デューティー
112 目玉焼き
111 歌に歌われる
110 組織
109 人種差別
108 丸い足
107 宗教と女性
106 ディーベンコーン
105 神の味噌汁(みそしる)
104 健さんと平戸
103 バグパイプ考
102 ないです
101 聖地
100 マッカンチーズ
99 再造の恩(2)
98 再造(さいぞう)の恩(1)
97 行水
96 かまわぬ
95 本場もの
94 グーリックさんのこと
93 ケセラセラ
92 日本人の肖像
91 センス・オブ・ワンダー
90 カティ・フラードのこと
89 屋根瓦(やねがわら)
88 一人っ子政策
87 文化の違い
86 干し野菜
85 恐れを知らないギター
84 銀シャリ
83 ターナー
82 デリシャス
81 モハメッド・アリの大勝負
80 ハンマーダルシマー
79 白無常(はくむじょう)
78 アメリカいれずみ事情
77
76 ひつじ
75 ひげにまつわる話
74 ぐちゃぐちゃ
73 宗教の周辺(2)ヘズース
72 宗教の周辺(1)翼と銃
71 となりの芝生
70 ピンピンパンパン
69 帯とバックル
68 レ・ミゼラブル
67 テーブルマナー
66 朝の穀物
65 二人松浦
64 好きこそものの上手なれ
63 パイについて
62 Xのこと
61 琴棋書画(きんきしょが)
60 爪紅(つまべに)
59 絵に描いた餅(もち)
58 ブレーキ
57 シャーロック・ホームズとカレー
56 ポール・マッカートニー
55 野蛮な茶
54 パサディナ
53 複数たち
52 玉米(ぎょくまい)
51 それにつけても
50 はしとさじ
49 ローズバーグ
48 ジャカランダ
47 サンドイッチの話(2)「O.J.シンプソンとハンバーガー」
46 バンジョー
45 ジャージー・リリー
44 工夫
43 かゆのいろいろ
42 ホイットニー・ヒューストンと「ボディガード」
41 イニシャルについて
40 無用の人
39 具眼の士
38 天使も踏むをおそれるところ
37 ビスカイーノ
36 サンドイッチの話(1)「センス・オブ・プロポーション」
35 パトリシア・ハイスミス
34 茶飲み話
33 柴五郎とジョニー・ビーハン
32 戦場のゴムぞうり
31 やきもの
30 記憶としての絵
29 アイリッシュ・ミュージック
28 乳と蜜の流れる土地
27 レディ・ハミルトン
26 Mto.
25 『チャイナタウン」
24 ドライ・ランチ
23 プリンス談義
22 帽子の話(3)「新撰組」
21 アメリカの大学から
20 帽子の話(2)「衣冠を正す」
19 帽子の話(1)「男はつらいよ」
18 マイ・バレンタイン
17 理想
16 ビリー・ザ・キッドの恩赦
15 おらんだ正月
14 シャーベット(下)
13 シャーベット(上)
12 カナダロッキーへの旅―最終回
11 カナダロッキーへの旅―11
10 カナダロッキーへの旅―10
9 カナダロッキーへの旅―9
8 カナダロッキーへの旅―8
7 カナダロッキーへの旅―7
6 カナダロッキーへの旅―6
5 カナダロッキーへの旅―5
4 カナダロッキーへの旅―4
3 カナダロッキーへの旅―3
2 カナダロッキーへの旅―2
1 カナダロッキーへの旅―1
ページトップへ
Copyright(C) FORUM INFONET, All rights reserved. Copyright(C) FORUM INFONET, All rights reserved.
掲載の記事・写真・イラスト等、全てのコンテンツの無断転載・複写を禁じます。
0 7 7 8 6 1 1 6
昨日の訪問者数0 5 0 8 9 本日の現在までの訪問者数0 2 2 5 2