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僕の偏見紀行
231 またもやベトナム(11)ホーチミンにて、チョコ そして・・・
2017年10月17日
時津 寿之 時津 寿之 [ときつ としゆき]

1945年、九州にて誕生。2010年4月65才で長年勤務したメーカーを定年退職。家族は息子2人が独立し、今は配偶者と二人暮し。趣味は読書、散歩、旅行。読む本は何でもジャンルを問わず、旅先も国内外を問わずどこでも、気の向くところへ。
▲ MAROUショップ喫茶コーナーのスイーツ。
▲ ショップ内に展示されていた資料。チョコ製造用メモ?
▲ ホーチミン像の前の噴水で遊ぶ子供たち。
タックス・スーパーでハス茶や調味料を、チュン・グエンでコーヒーを買い込んだ。カミサンの服はオーダー済でホテルへ届くのを待つばかり。お土産関係で残すところはチョコだけとなった。

このベトナム独特のチョコレート、昨年お土産に買って帰ったところ、息子たちや親戚筋にもいたく評判がよかった。そこで、今年も買って帰るのだ、とカミさんは張り切っている。

このMAROUチョコ、最近ホーチミンに直営ショップを開いたらしい。昨年は販売店をあちこち探し回って大変だったが今年はそこへ行けばいい。

ネットで検索するとショップの場所が分かった。ホテルからそう遠くないが、タクシーで行く距離だ。乗り込んだタクシーのドライバーに地図とショップの名前を見せるとすぐに分かった。訪れる観光客が多いんだろうな、とりわけ僕らのようなジャパニーズ・ミーハーが。

MAROUチョコはすでに数年前から、知る人ぞ知るシングルカカオチョコのはしりで、日本でも通販で手軽に手に入るし、販売する菓子店もある。僕は知らなかったが、チョコの世界ではこの1種類のカカオによるダークチョコが人気らしい。

しかし、日本でも手に入るとはいえ、やはり本場で直接買うのはちょっと違うだろう、と勝手に思いつつ我が家は買い込んでいる。日本だと値段もずっと高いしね。まあこの際、ホーチミンまでの航空券やホテル代など、野暮なことは考えないことにしよう。

タクシーが着いたのは、ベンタイン広場から少し走ったところの、雑多な店舗が並ぶ一角だった。ショップ前面のガラス越しに混雑する店内がよく見える。買い物客が多い様だが、品切れでなければいいが、そう思いつつタクシーを降りる。

入ってすぐの喫茶コーナーにはチョコレートケーキが並んでいる。斬新なデザインが見るからに美味しそう。その先に販売用カウンターがあり、ガラス張りの作業場も見えている。チョコレートはカウンター前の台上に無造作に積まれている。定番の6種類の他、いくつか新製品もあるようだ。

ベトナムの若者達のグループで店内は思いのほか混雑していた。チョコレート造りの勉強に来ているという彼らは、スタッフの説明を目を輝かせて聞いていた。このベトナム産チョコMAROUの成功に続こう、という彼らの熱意が伝わってくるようだ。

知っている人も多いと思うが、MAROUチョコは2人のフランスの若者がサイゴンで出会い、意気投合してベトナム産のカカオでチョコを造ったのが始まりという。そのうちの一人は日系フランス人らしい。

ベトナム産のカカオとサトウキビだけの混じりけなしのダークチョコレート、ミルクは勿論バニラも使わない。しかもこのフランスの若者たちは、ベトナム各地で、その土地のカカオを使った、そこだけのチョコを造った。だから定番といわれるチョコにもいくつかのシリーズがあり、微妙に味わいが異なる。

先ほどから喫茶コーナーの奥で打ち合わせ中の男達がいる。欧米系の中に東洋系が一人混じっている。もしかしたら彼らはMAROUの経営陣なのか、東洋系の彼は日系フランス人といわれる創業者の一人かもしれない。

注文したチョコを受け取る時に、カウンターにいたフランス人らしい若者に記念撮影を頼むと気軽に応じてくれた。彼は店内の壁のカカオ産地マップの前で、僕らと一緒ににこやかにカメラに向かった。

帰国予定の前日は必要な買い物も済ませたし、後は荷物の整理とパッキングだけ、とホテルでのんびりくつろいでいた。暇だったので溜まったメールのチェックでもしようかと、タブレットを開いた。

相変わらずどうでもいいメールばかりだったが、突然「N君が逝った」という文字が目に飛び込んできた。高校の同窓生からのメールで、かねてから闘病中だった友人の訃報だった。

ベトナムへ出かける前にも、彼が入院する病院へお見舞いに行ったばかりだった。その時の彼は、数か月前に比べてさらに抗がん剤の副作用で苦しんでいたが、まさかこんなに早く逝ってしまうとは。

僕は暫く言葉が出なかった。カミサンの問いかけに答えようとした途端、不覚にも涙がこぼれた。辛い治療に耐えて頑張ったのに、せめて東京オリンピックまでは、という彼の願いはかなわなかった。人はこんなにもあっけなく逝くものか。

現役時代の彼は鉄鋼メーカーの技術者として活躍し、業界を代表してインドのタタグループへ技術指導に行くこともあった。明朗闊達そして剛毅朴訥、酒を愛し、大酒して乱れることのない本物の九州男児だった。

上司とケンカして会社を飛び出し、自分の会社を設立したというのも彼らしい。小心でクヨクヨするタイプの僕とは対照的な彼だが、不思議にウマが合った。近年はアキバ会と称して、秋葉原にある彼の会社近くのヤキトン屋で仲間と一杯やるのが楽しみだった。

4年前のアキバ会の日、約束の4時を過ぎても彼が現れない。それまでそんなことは一度も無かった。不審に思い彼に電話した。すると、彼は病院にいて、検査の結果中皮腫の診断を受けたところだった。あまりにも突然のことで、彼にアキバ会のことを考える余裕がなかった。

それから彼の闘病生活が始まった。現役時代、彼は技術者として溶鉱炉周りで働くこともあった。その時代はアスベストが耐熱材として使われていた。それが原因で彼はリタイア後に中皮腫を発症した。

主治医は妙齢の女医だったが、すぐに治療を始めないと余命数か月だ、と彼に告げたという。僕はそんな簡単に余命が分かるのか、と疑問に思っが余計な口出しは出来なかった。

もともと彼は頑健な身体の持ち主で、常にエンルギッシュだった。だから治療を始めた頃は、アキバ会でも今までと変わらず、酒を飲み仲間と楽しく過ごした。これなら治療もうまくいくだろう、周りはみんなそう思っていた。

しかしそれも治療が長引き、3年目に入ると徐々に抗がん剤の副作用のせいか体力が衰え始め、たまに弱音を吐くようになった。

主治医は様々な抗がん剤や治療法を彼に試し、時には先進医療と称する治療もあった。その頃彼のメールには、医者が張り切って新薬や先進医療を試したがる、なにしろアスベストによる中皮腫は労災認定だから治療費タダだから、と自嘲気味に書かれていた。

4年目に入った昨年秋頃から一段と彼の体力が衰えてきた。年末に仲間と彼の自宅へお見舞いに行った。彼は相変わらず意気軒昂で元気だったが、すでに酸素ボンベが手放せなくなっていた。

しかし彼はいつもの調子で、これからは2階の部屋にボンベを持ち込み、テレビやビデオもセットしてベッドでも見るんだ、と淡々と語った。そんな彼の様子を見ながら、僕は彼の強靭な精神力に感嘆した。僕にはとてもこんな状況で平然とこんな話は出来ない。

年明けの彼のメールは読むのが辛かった。医者から最後通告があったという。それは、最善の治療を目指して手を尽くしたが、これ以上の回復は難しいようだ。この病いで彼のように4年も生きるのは稀で、それは彼が元来健康であり、前向きで明るい人柄だったことによる、ということだった。

彼は、要するにオレがバカで深刻に考えないのがよかったらしい、とあくまでもタフな男だった。彼に最後通告をしたのは主治医の女医ではなく、その上司だった。その女医は上司の陰に逃げてしまった。主治医なら最後までキチンと患者に向き合うのが医者の責任ではないか。

僕はこれを知って心底腹が立った。散々苦しい治療を強いておきながら、あまりにも無責任で卑怯ではないか。医者としての良心はどこへいったのか。大体治療前からいきなり余命を患者に告げるのはフェアではない。

患者毎に状況が異なるはずだが、一体どんなエビデンスに基づいて余命を計算したのか。正確な余命を出すには、患者毎に少なくとも数か月の検証が必要だというのに。彼はあからさまには言わなかったが、どんなに無念だったことか。僕の不覚の涙には、彼の無念の思いもあった。

ホーチミン最後の夕食は、感じのいい日本語を話す若者がいるレストランに行くことにした。そこへ向かう途中、ホーチミン像が置かれた公園を通ると、夕涼みに訪れたカップルや家族連れで賑わっていた。

公園から大通りに沿って続く広場にも散策する人たちが溢れていた。広場には音楽を奏でるステージや地面から吹き上がる噴水があって、子供たちがはしゃいで走り回っていた。

噴水で遊ぶ子供たちの向こうに、ライトアップされたホーチミン像が夜空を背景に浮かび上がっている。ベトナム戦争終結からすでに40数年、戦争を知らない世代がこの国の発展を担う時代になった。幸せに満ちた家族の光景を見て、ホーおじさんはさぞ嬉しいことだろう。

米仏2大国に苦しい戦いの末勝利したホーチミン、その彼がどんな国造りを目指したか、僕には分からない。しかし現在の祖国の姿にきっと満足しているに違いない。(終わり)
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73 小笠原の旅(3)ザトウクジラの海
72 小笠原の旅(2)BONIN ISLANDS
71 小笠原の旅(1)波路はるかに
70 インド紀行(7)タージ・マハルの光と影
69 インド紀行(6)ガンジス川の夜明け
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65 インド紀行(2)コルカタにて
64 インド紀行(1)遠かったインド
63 暮れの浅草昼酒
62 雨の東北、芭蕉と紅葉旅
61 南会津の旅◆扮の尾瀬沼)
60 南会津の旅 弁愡浚村)
59 奥日光戦場ヶ原
58 スコットランド紀行(5)いくつかの思い出
57 スコットランド紀行(4)偉大なり、ピーター・ラビット
56 スコットランド紀行(3)ネス湖からスカイ島へ
55 スコットランド紀行(2)ウォールフラワー
54 スコットランド紀行(1)エジンバラ大学でお茶を
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52 風に吹かれて八丈島(2)
51 風に吹かれて八丈島(1)
50 イリオモテヤマネコに逢いたくて(4)
49 イリオモテヤマネコに逢いたくて(3)
48 イリオモテヤマネコに逢いたくて(2)
47 イリオモテヤマネコに逢いたくて(1)
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42 北東北ローカル線の旅(3) 雨の下北恐山
41 北東北ローカル線の旅(2) うみねこレール
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39 50年の時を超えて
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37 知床の秋(1)、鮭遡上
36 風に吹かれて尾瀬ケ原
35 白神山地「ブナの学校」
34 初夏の山形、サクランボとそばの旅
33 ハワイ島滞在記(2)
32 ハワイ島滞在記(1)
31 春の予感、鹿沢(かざわ)高原にて
30 嗚呼!還暦大同窓会
29 年の暮れ、奥那須で想う
28 ラムネの湯「長湯温泉」はいいぞ
27 また「再会の時」道後温泉にて
26 大自然の力、姥湯温泉
25 知床の青いそら、光と風 その
24 知床の青いそら、光と風
23 春の東北ローカル線の旅
22 春の東北ローカル線の旅
21 春の東北ローカル線の旅
20 上海点描
19 やさしかったチェジュの人たち
18 さらば、災の年よ。
17 僕たちのセンチメンタルジャーニー
16 台風を避けて信州へ
15 青島印象記
14 よるべない孤独にみちた宿
13 海があまりに碧いのです
12 安曇野の光と水、そして高瀬川渓谷葛温泉
11 鞍馬山の向こうへ、大悲山峰定寺
10 雪の会津鉄道トロッコ列車の旅
9 初春初旅救急車
8 年の暮れ、峩々温泉再訪記
7 東北紅葉旅峩々温泉
6 蔦温泉、蔦沼、ブナの森
5 雨の幕川温泉再訪記
4 憧れのフルム-ン法師の湯
3 信州塩田平別所温泉
2 信州信濃路
1 東北紅葉雪見風呂
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