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天使になったぽっぽ |
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2019年1月1日 |
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 | 橋場 恵梨香 [はしば えりか]
アメリカ生まれ、日本育ちの日系二世。小学二年生から高校卒業まで東京のアメリカン・スクールに在学。2005年にサンディエゴ州立大学アジア研究学部を卒業、そして2008年に同大学にて言語学修士号取得。現在カリフォルニア州のマリーナに住み、サリナスにある公立高校で日本語教師を務める。 |
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▲ ぽっぽが大好きだった親友の娘れいなちゃんが描いた絵。ダスティンがコネチカット大学から帰って来たときにプレゼントしてくれた。 |
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▲ 私の教室にみんなを癒しに来てくれたフィービー。 |
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▲ 元生徒のお母さんにいただいたピースリリー。バードハウス型の入れ物の縁にぽっぽと同じ緑色の鳥が付いている。 |
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今年の三月、十年飼っていたオカメインコのぽっぽが突然、死んでしまった。
日本へ帰国する間お世話になることになった友人の家にいるときだった。旅行の数日前から既に友人のうちに預けていて、翌日が出発日だった。朝の7時、仕事に行く準備をしている時、ケータイに友人から着信が4件もあったことに気づく。こんなに朝早い時間に何度も電話とは、たちまち不安な気持ちが心を締め付けた。電話を返すと、その向こうには動揺する友人の声。朝起きたら、籠の中で死んでしまっていた。「昨日の夜まで元気にしてたんだよ!」家族揃って思いっきり可愛がってくれていた友人は、100%信頼できた。しかし、飼っていた十年間病気や不調を一度も見せなかったぽっぽが、私たちがいないところで急に死んでしまうなんて、やるせない気持ちでいっぱいだった。「私が置いて行ったからだね・・・」と私は思わず言った。数日前、別れ際にぽっぽが帰ろうとする私の方に一生懸命首を伸ばしていつもより大きい鳴き声で喚く光景を思い出し、そう確信した。ごめんね、ぽっぽ・・・私が置いていったからだ。私のせいだ。
もちろん、友人のせいでも、私のせいでもない。誰をどう責めたって、しょうがない。鳥とは結構繊細な生き物で、何らかの理由で急に命を落としてしまうこともあるらしい。人生が投げつけた予期せぬカーブを受け止めるしかない。
ぽっぽは、基本的にパパ贔屓だった。ぽっぽの噛み癖は仕付けられないままで、噛まれると血が出て跡を残すほどだった。のは、私の方で、ダスティンのことはまず噛むこと自体珍しく、気が変わって噛むことになってもなぜか遠慮がちな噛み方をする傾向があった。だいたい迷いなく指に乗るのもダスティン。肩に乗せてもらって仲良く料理をしたり、ソファに座り込めばそのうち二人揃ってうとうと昼寝をすることが多かった。ぽっぽが大好きな新鮮なフルーツを毎日欠かさず細かく切ってあげていたのもダスティンなので、パパ贔屓になるのも無理はない。
大好きなのはパパなのに、ダスティンが何ヶ月も日本へ研究に行ったり、去年はコネチカット大学で一年契約の仕事をしてる間は、ぽっぽと私でなんとか二人生活を頑張った。どっちが偉い方なのかよく分からない関係で、毎日お互い怒ったり、笑ったり(そう、ぽっぽは笑うのです)、癒されたり、また怒ったりの繰り返しだった。ぽっぽがテーブルの上で林檎を食べ散らかす様子や、めずらしく指に乗ってくれてナデナデしていたらいきなりがぶりと噛まれる様子など、ケータイの写真や動画で撮って離れたダスティンに送ってあげるのが日頃の習慣だった。今ではその写真や動画は貴重なものとなっている。
ぽっぽは鳴き声はうるさいし、噛まられると痛いし、相当威張ったかわいくない性格だった。他人からしてみればこんな鳥を飼って何がおもしろいのだろうと不思議に思うだろう。それでも、自分の「子」というのは無条件に、そしてとてつもなくかわいいものだという、それこそ不思議な事実を私たちはぽっぽに教わった。
ぽっぽとは、これから長い年月を共に生きてゆく覚悟をしていた。ぽっぽを買ったペットショップで支払いを済ませるお兄ちゃんに「そいつヘタすると40年くらいいけちゃうよ」と言われ、すこし心に戸惑いが横切った覚えがある。40年後・・・還暦過ぎてんじゃん!当時はダスティンと結婚もしていなかったので、別れるとしたら誰が引き取るのかな、なんて思ったりもした。
そんなぽっぽに急に死なれて、今までに経験したことのない悲しみを知った。10年というときをいっしょに過ごし、その間にダスティンと私もめでたく結婚し、私たちは立派な家族だった。手のひらに乗る小さい命が、こんなにも大きな存在になるなんて、本当に不思議で、なんて素敵なことだろう。
そんなぽっぽが、死んだ後、天使になって悲しむ私たちを慰めてくれている。そう確信できるできごとが、みっつ起きた。
できごとその1:
友人から電話があった朝、私は通常通り学校へ行く準備をしていて、次の日から生徒二十四人を連れて春休みに日本への修学旅行を予定していた。ぽっぽの死を知らされた私は、その十五分後には家を出て学校に向かい、一日授業を教えなければならなかった。仕事なんて休んじゃえ、なんてふと思ったが次の日から旅行ということもあって、そのための最終準備などがあった。
学校に着いてみると、いつもと変わらないキャンパスと学校前の賑やかな生徒のやりとりが私の気持ちを切り替えてくれ、つい先ほどまで溢れ出ていたショックを心の奥底へとなんとか押し込むことができた。私は深呼吸をしながら教室へと向かった。
すると、まだ閉まっているドアの前に三年前に卒業した教え子が立って待っていた。「え〜、ヤヤちゃん?久しぶり!」たまに、卒業生はこんな調子でなんの知らせもなく自分が都合のいいときに遊びに来たりする。でもヤヤちゃんは、卒業して以来会っていない。名前を覚えててよかった。
教室に入り、ヤヤちゃんの近況報告を授業の準備をしながら聞いた。私はだんだん元気が戻ってきた。今日一日、乗り切れるかもしれない。そう思え始めたとき、ヤヤちゃんは何か企んだ顔をして、「あとね、今日はフィービーも連れてきたの」と。ん?と、黒板に向かっていた私はヤヤちゃんの方に振り向くと、彼女が来ているパーカのフッドから、なんと小さいふわふわなヒヨコが出てきた。「フィービーはね、私のセラピーペットなの。」まだ生後数週間しか経っていないフィービーはまだよちよちで、首と腿の周りの柔らかい羽毛がゆらゆらしていた。ぽっぽと同じくらいの大きさだった。突然現れたヒヨコのフィービーを目の前にし、私はそれまでなんとか押し込めていた感情が破裂したダムのように一気に溢れ出て、涙がぼろぼろ出た。「こりゃ無理だわ・・・」と私は止まらない涙を拭った。びっくりしたヤヤちゃんに私はぽっぽのことを話した。チャイムが鳴り、教室に入ってきたのは上級レベルの生徒たち。3年間私のもとで日本語を勉強しているため、一番信頼関係のある生徒たちでもある。顔がぼろぼろの私はもう逃げ場がない。
授業が始まると私は開き直って生徒に説明することにした。みんなはぽっぽのことを一年生のときから私の家族の一員としてよく知っている。ぽっぽはありとあらゆる場面で、私のレッスンに登場するキャラなのだ。ぽっぽがうるさいこと、りんごが好きなこと、ホラー映画は極めて苦手なこと、みんなは全部知っている。みんなと思い出して、一緒に笑った。「今日は我慢して泣かないように頑張ろうと思ったけど、フィービーが来ちゃって・・・(笑)でもぽっぽのことをよく知っているみんなに打ち明けられてよかった。ありがとね。」気づくと生徒のほとんどが涙を流している。一人で我慢するのではなく、生徒と一緒にぽっぽの思い出を振り返ることができて、嬉しかった。授業が終わってからは、フィービーをみんなで囲い、私たちはその生まれたての新しい命に思いっきり癒されたのだ。
セラピーペットは最近アメリカではよく見かけるが、精神的サポートを理由に持つペットで、必要な人は授業や仕事、飛行機などでもお供できることになっている。犬の場合が多く、鶏をセラピーペットにするのはかなり珍しいと言えるだろう。よく顔を出す卒業生ならまだしも、卒業以来3年間会っていないヤヤちゃんが、よりによってひよこのセラピーペットを連れて私の教室へ訪れようと思ったのがぽっぽが死んだその日だったというのは、果たして「偶然」なのだろうか。天使になったぽっぽが、私たちを慰めるためにフィービーを私の教室に連れてきてくれたのだなと、私は思った。
翌日から始まった生徒との日本旅行は、問題なくは始まった。家族の一員を亡くした直後に24人の生徒を仕切って国際旅行をするというのは自分で言うのもおかしいがかなりの図太さを要求する。「はい、みんなパスポート見せて!」「5分、トイレ休憩!」と叫ぶなかで、私は受けたばかりの深い傷をなんとか無視するしかなかった。しかし、初めての日本で体験するセブンイレブンのおにぎりやトイレの音姫をいちいち感動してくれる生徒たちに、私は救われていた。私たちが東京へ着いてから絶妙なタイミングで満開になった桜を見て、私は短かかったが盛大に生きたぽっぽの一生を想った。
できごとその2:
十日間の旅を終え、カリフォルニアに戻ると私は自分しかいない静かなアパートに帰った。実はこのとき、ダスティンは先ほど話したコネチカット州での一年契約の仕事をしていて、ぽっぽが死んだときはたまたま彼は春休み中でカリフォルニアに帰っていたのだ。それもまた不幸中の幸いで、ダスティンがいるときで本当によかった、と二人で思った。が、私の旅行中にダスティンはコネチカットに戻り、私たちは離ればなれの生活の中でぽっぽの死を悼むことになったのだ。
ぽっぽの籠は、4本の車付きの足に立つ、私の背くらいある結構立派なおウチだった。その下には籠以上の広さに新聞紙を敷いたため、ぽっぽ自身は小さいくせに大した面積を陣取っていた。みんなと一緒にいられる居間で、外の眺めが一番よく見える位置が必須。引っ越しがあるたびに、そのウンチまみれの馬鹿デカい檻をどこに置こうかと悩まされた。しかし、今まで目障りでしょうがなかったウンチのお城が突然姿を無くすと、私の狭いアパートは急に広くなりすぎた。旅行から戻った次の日、ぽっかりと空間ができてしまった居間の一角に、植物を置こうと私は決めた。ぽっぽがいたところに、新しい命を置きたかったのだ。その日、出かけた先で結局植物を買うことにはならなかったのだが、帰ってくると玄関の前に何かが置かれていた。そうだった。外出中にご近所さんでもある親友からメッセージがあり、私宛の贈り物を預かったので、玄関のところに置いておくとのことだった。
その「贈り物」は、白い花を咲かせたピース・リリーというプランツだった。私はその植物を見て目を疑った。そのピース・リリーは植物だけでなく、ギフト用に可愛らしいバードハウスの形をしたホルダーに入っていた。そしてそのバードハウスにはぽっぽと同じ緑色に塗られた作り物の鳥が一羽、ピンでくっ付けられていた。それを見て涙が止まらなかった。このプランツをくださったのは、今日本で留学中の元生徒のお母さんだった。日本旅行中、娘さんと会って一緒に時間を過ごしたための親切なお礼だった。しかし、そのお母さんはぽっぽが死んだことは何も知らなかった。植物農園を持っているそのご家族からは、以前にも素敵なプランツをもらったことがあった。しかし今回はちょうど私が求めていた時に、しかも緑の鳥付きのバードハウスに入ったプランツをいただいた・・・「偶然」と呼べるだろうか?また、天使になったぽっぽがこのプランツを届けてくれたのだと、私は確信した。
できごとその3:
ぽっぽがいなくなって、早いような遅いような月日が経ち、八月にはまた新たな学期が始まった。ダスティンと私の心には一生残る傷跡はあるのだが、出血はなんとか止まっていた。私は毎年、ぴかぴかの一年生を「あいうえお」も分からない白紙の状態から指導することを一番楽しみにしている。今はたったの14歳(アメリカの高校一年生は14歳から)の子達が、二年、三年、中には選択さえすれば四年という時間を私の日本語の教室で過ごし、いずれ、悲しい時はお互いに泣き顔を見せられるような信頼関係を持てる小さな大人たちになってくれるのである。
まだ新学期が始まって数週間しか経っていない一年生のクラスのある日。今年の三時間目のクラスは他と比べて特に陽気でしかも優秀な子が多く、ひそかに贔屓にしている。私はいつものように授業を「みなさん、お元気ですか?」という質問で始め、生徒同士にも質問させた。いつも明るく、リーダー的な存在であるマリーナちゃんが、今日は浮かない顔をしている。彼女は手を挙げ、「先生、sad は、日本語で何ですか」と聞く。思春期の高校生はとことんアップダウンが激しい。落ち込んでいる生徒がいればできるだけセンシティブに接することを心がけるが、日々150人の感情の上下について行くということははっきり言ってキツい。とりあえず聞かれたので「悲しい」という言葉を全員に教えると、みんな即座にメモっていた。内心面倒臭いなぁなんて半分思いながら、マリーナちゃんとは授業が終わってから話を聞いてみようと決めた。
しかし、授業中、マリーナちゃんの様子は深刻化した。自分の席で下を向いてかなり閉鎖的な姿勢を取っている。これは今すぐ対応した方がいいと察し、クラスにパートナーワークを指示してから彼女の横でしゃがんでみた。「どうしたの?」と静かな声で聞いてみると、彼女のひざの上には手ぬぐいで何かを抱えている。
マリーナちゃんはその手ぬぐいをそっと開き、その中にはまるで絵本の世界から飛び出てきたような淡いブルーの鳥が包まれていた。「この子、死にそうなの。」私は息を飲んだ。ぽっぽよりは一回り大きい、本当にきれいな鳥だった。後から知ったが、Indian Ringneck Parrotという。死にそうな鳥を教室に連れてこられるという初めての事態に一瞬は動揺したが、私は不思議とすぐに落ち着けた。ぽっぽがすぐそばで見守っててくれている気がした。「名前は?」と聞くと、「ドルセ」だと。ドルセはスペイン語で「キャンディー」という意味だ。「ドルセちゃん、本当にきれい。マリーナちゃんが一緒にいてあげられてドルセちゃんも安心してるね」と私は言った。ドルセちゃんは手ぬぐいの中で真っ黒いフンをしていて、力果てたようにグダっと寝ていた。
ドルセちゃんは、その授業中、息を引き取った。「死んじゃった・・・」と泣き出すマリーナちゃんと教室から一歩出て、私も思わず涙が出てしまった。しばらくすると、「せめて一緒にいてあげられてよかった」と、マリーナちゃんは笑顔で言った。その言葉に、私の心は一瞬痛んだ。私はぽっぽが死んだとき、一緒にいてあげられなかった。でもこの日、ぽっぽはドルセちゃんを私の教室へと連れて来てくれたのだ。ここだったら、安全だよ、と。この教室の先生は鳥が大好きで、嫌がったり、怒ったりしないから、大丈夫だよ。二時間目の数学の先生のクラスではなく、四時間目の理科の先生ではなく、三時間目の日本語のクラスで、ドルセちゃんはマリーナちゃんが見守る温かいぬくもりの中で一生の幕を閉じることができた。本当によかった。
ぽっぽの最期を見届けてあげることはできなかったが、天使になったぽっぽは今、私たちの周りに常にいる。ダスティンと私は、どんな鳥を見てもぽっぽと呼んでいる。あ、あそこにぽっぽが!と。以前ぽっぽのエサを入れていたジャーに今では野鳥用のエサを買って入れ、ダスティンは毎朝バルコニーに設置したバードフィーダーをいっぱいにする。そこへたくさんのぽっぽたちが一気に密集して食べに来てくれる。当たり前かもしれないが、野鳥はぽっぽと似たしぐさを見せる。好物のタネを探り出すところや頭の掻きかたなど。
ぽっぽと過ごした時間は10年間で終わったのではなく、これからも、家族として一生続くのである。
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