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祖父のベンチ |
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2018年1月1日 |
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 | 橋場 恵梨香 [はしば えりか]
アメリカ生まれ、日本育ちの日系二世。小学二年生から高校卒業まで東京のアメリカン・スクールに在学。2005年にサンディエゴ州立大学アジア研究学部を卒業、そして2008年に同大学にて言語学修士号取得。現在カリフォルニア州のマリーナに住み、サリナスにある公立高校で日本語教師を務める。 |
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▲ ベンチの位置を手書きの地図で説明する祖父。 |
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▲ 70年後の祖父のベンチ。 |
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新年明けましておめでとうございます。ここ何年かは元旦アップが唯一の投稿となってしまっているダメ会員、橋場です。
しかし一年に一度のエッセイも振り返ってみると自分にとってはとても貴重なものとなっています。最近、前回の歯医者のチェックアップから一年以上は経っていることに気づき、久しぶりに予約を入れようと歯医者に連絡してみたらなんと一年どころか既に三年が過ぎていたことが発覚しました。人生とはちゃんと気をつけていないと恐るべきスピードで時が過ぎ去ることを痛感しました。たとえ一年に一度でも、研究会という場をお借りしてゆく年を振り返り、心を改める機会をいただけることは本当に貴重です。そして私の場合、一年に一度だけでもできていることは歯医者のアポ以上にできていることなのです。
年末年始は今年も実家に帰っています。今回の帰省では家族と金沢へ温泉旅行に行ってきました。金沢は今回が初めてですが、そこは今月で93歳になる祖父が70年前に医学生として過ごした場所です。祖父は医者のくせに何十年もタバコを吸っていました。食料がない第二次世界大戦中に学生をしていた祖父はひどい空腹を紛らわすため吸い始めたのがきっかけだったそうです。大学の給食はこぶしほどの大きさのお椀に入った汁に浮いたうどん。わざわざお箸を使わなくても一口で食べちゃえるほどの量は、なくなった途端にいわゆる前菜のような働きをしてたちまちお腹が空いてしまったそうです。そんな腹ペコ学生生活の中、祖父は大学から下宿までの道のりにあった兼六園にある池の前のベンチに座り、一服吸ったそうです。冬になれば真っ白の雪を抱える木々を、春には芽生える若葉を眺め、卒業までの5年間祖父はそのベンチにお世話になったのです。「そのベンチに座って何考えてたの?」と聞いてみると、「いや〜若かったから色々なことを考えたよ。」70年前はスマホもない時代です。ひたすら考えるしかない時代。今の若者は充分に考える時間があるのでしょうか。
祖父は大好きだったタバコも十年前に狭心症がきっかけでピタっとやめました。特に病気もない優秀な93歳ですが遠出をするのは億劫らしく、今回の旅行は見送ることにしました。そこで、自分が70年前に座ったベンチがまだあるかどうか見てきておくれ、と頼まれました。グーグルマップになんぞ頼らず、自分の記憶から兼六園の地図を紙に書き出し、ベンチのありかを念入りに説明してくれました。ベンチに座るとちょうどよく池の端に立つことじの灯篭が見えるということでした。
いざ兼六園に到着すると、とりあえず入園料310円。もちろん、祖父の時代は入園料などなく、もしあったとしたら貧乏学生だった祖父は恐らく兼六園とは縁がなかったことでしょう。
ことじの灯篭が立つ場所はやはり人気スポットで、着物を着た若い女性やたくさんの観光客が散策しながら写真を写し、聞こえてくるのは日本語だけでなく中国語やドイツ語も。70年前とは随分変わった光景だっただろうと思います。
さて、祖父のベンチはというと、一つだけあるはずのものが、いくつにも増えて池の前に並んでいました。今では来園者も増え、ベンチ一つじゃとても足りません。70年前祖父が座ったベンチそのものかどうかは疑問でしたが、祖父が説明した通り、10センチほどの厚い板でできた、背もたれもないシンプルなベンチでした。
とりあえず座ってみて、70年前、髪はもっと黒くフサフサでお腹はからっぽでも立派な医者になろうと胸いっぱい夢を見た祖父の姿を思い浮かべながら、私なりにいろいろ考えてみました。
東京に帰って私が座ったベンチの写真を祖父に見せると、「ああ、これだね!」と、感激しました。小さなアイフォンのスクリーンに虫眼鏡を当てて見ているので確信できるはずがないのですが・・・でも、いいのです。実際はどうでも、祖父と私が同じベンチだったのだと確信することが大切なのです。
70年後の祖父のベンチに座ってみて、私は生活の中にある自分にとって大切な空間とはなんだろう、と考えました。果たして、今から70年後にも残るモノはあるだろうか。むしろ、何が残っていてほしいのだろうか。
こんなことについて考えた、今年のお正月でした。
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